『KUBO~二本の弦の秘密』の感想。月の帝の最後について考察。

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KUBOらくがき

好きすぎてサムネ自分で描いちゃったよ!どうもベッケです!

11/18から公開された『KUBO 二本の弦の秘密』みなさんはもう観ましたかー!

私は『コララインとボタンの魔女』からスタジオライカの作品を追いかけていたのですが…いやはや、まさか日本を舞台にしてくれる日が来るとは思いもしなかったですよ!

なんといえばいいのか…ありがとう…ライカありがとう…

ストップモーションアニメーションって?

人形を少~~し動かして写真を撮り、また少~~し動かして写真を撮り…という作業を繰り返し、その写真を連続で流すことで人形が自身の力で動いているように見せる技法です!

子供向けの番組でしばしば見られますね。私が小さい頃に観ていたのはウォレスとグルミットです。ピングーもそうなのかな?この2つはキャラクターが粘土で作られているので「クレイアニメ」と呼ばれることもありますね。あれも少しずつ動かして撮影しているんですよー。地道な作業ですよねえ…。

とにかくストップモーションアニメの制作には途方もない時間と作業、そして情熱が必要とされます。そのぶん、完成した作品のキャラクターたちは、まるでそこに存在しているかのように生命に満ち満ちているんです。

KUBOは日本の美しさを思い出させてくれる

KUBOは日本について大変よくリサーチしてくれた作品だと思います。

外国の描く日本ってほら、中国あたりと混ぜ混ぜされがちじゃないですか。KUBOにはそういう部分が感じられなかったのです。何よりも、日本特有の「わびさび」についてすごく深く解釈されていたように思います。日本人ですらわかりにくい独特の概念なのにね…!

日本ってこんなに美しいんだな…ってあらためて気づかされます。海外で制作された映画に気づかされるなんて不思議ですよね。

ありがとう…ライカありがとう!何度でも言う!!私は他でもないスタジオライカに気づかせてもらえたのが嬉しいよ!!

ラストの月の帝について

※ここからはネタバレも含みます。気を付けてね。

KUBOのテーマのひとつ、「物語を語るとはどういうことなのか」。

それは、『あなたの生きざまは一つの物語であり、それを誰かが語り継ぐことで命はいつまでも生き続ける』ということです。

人は、たとえ死んで見えなくなっても、人々が思い出を語り続けるかぎり、消えてしまうことはないのです。

さて、映画の本編…ラストについて触れていきます。

最終戦のあと、月の帝が最後に顕現した時、彼の記憶は消えてなくなっていました。自分が今まで何をしてきたかわからなくなったのです。

これは、彼の今までの残虐非道な行いをしてきた物語が終わりを告げたと言えます。

KUBOを背に乗せて旅をしていた時のサルの言葉を思い出してみてください。

「物語の終わりは、新たな物語の始まりでもある」

あの時残虐な月の帝の物語が終わったとすると、これから彼はどのような物語を生きるのでしょう?

クボに敗れ、記憶を失った月の帝の側に、怯えて隠れていたいた村人が集まってきます。そして、自分を失って不安がっている彼に「あなたは優しい人だったよ」「子供たちに飴を配ったよ」などとありもしない過去を作りあげはじめたのです。月の帝はそれを聞いて、「そうなのか…私はいい人なんだな」と安堵します。

こうして、彼のキャラクターが村人たちによって作られ、彼はその”設定”を胸に新たな物語を始めるのです。優しくて、親切で、子供たちに飴を配るようなとても素晴らしい人間として。そして人生を全うし、そして亡くなった後も人々に「素晴らしい人だった」と語り継がれていくのでしょう。

なんちゅーーー優しい世界!とことん美しいんですけど…

いやね、最初は違和感あったんですよ。え、月の帝擁護するところある…?みたいなね。

でもこれでいいのだ。皆幸せ。

クボも言っていたけど、苦しみぬいた最後は幸せでありたいよね。物語はハッピーエンドでいいんだよ、クボ…おじいちゃん…。あの後クボはおじいちゃんと二人暮らしするのかなあ。そうだといいな。両親にもらった愛をおじいちゃんに教えてあげてほしい。

(12/14追記!また考察)

おじいちゃんが顕現した時、片目持っていましたよね?まだ見返していないので間違っていたらごめんね!

もしそれが左目だとしたら、それはおじいちゃんが取り上げたクボの目なんじゃないかと思っています。

月の帝にとって目とは、現世の醜い部分を映すための忌まわしい存在だったのです。だから、孫であるクボにそれを見せまいと目を取り上げようとしていました。

しかし、現世は必ずしも醜いものではありません。その真実はクボが現世を生きてきたからこそ知っていることで、月の帝はまったく理解しようとしませんでした。月の帝は色々な意味で盲目だったわけです。

記憶を失って生まれ変わったおじいちゃんは、これからクボの左目を通じて人々の優しさを見て生きていくのかな…なんて思いました。言い方を変えれば、クボから奪った目をねじ込まれ、ずっと見下し続けていた現世の醜さをその身で味わうことになる…とも言えます。

こういう考え方で見れば、月の帝は罰せられているのでしょうね。とはいえ記憶は失っているし、村人が優しく迎え入れてくれたので、やはり現世は優しく暖かい、というのが真実なのでしょう。クボはこの答えを自らの目で見出し、そして証明したのです。

……もう一回見ないと不安だ!そもそもおじいちゃん目見えてたよね…?

どっち側の目だったかとか完全に忘れてしまって悔しい…メモ取りながら見た方がよかったな~!

書きながら胸がいっぱいになってしまいました。この辺にしておきます!

自分なりに解釈してみましたがどうでしょう。

皆さんもKUBOの優しく切なく美しい世界を堪能してみてください!

ではではこの辺でノシ

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