このブログを始めたころから、私の中で「才能」や「センス」の概念が揺らぎ始めています。
かつての私はそういったものを生まれ持ったものと思い込んでいました。
そして私には縁のないものだと。
しかし、いざこうして記事や漫画を作り続けていると、このように考えるようになりました。
「才能もセンスも、自分で身につけるものなのでは…?」
才能は幻想。あるとすれば遺伝子の特異性。
ドヤ顔であんなこと言いましたが、そもそも「才能」というものは存在しない概念だと思っています。
仮に存在するとすれば、遺伝子の特異性じゃないでしょうか。
たとえば、エーロ・マンティランタというフィンランドのスキー選手。
彼はオリンピックでいくつものメダルを獲得しましたが、赤血球の異常な多さからドーピングを疑われたことがあります。
しかし調べてみたところ、ドーピングではなく、彼の生まれ持った体質。つまり遺伝子の特徴だったのです。
この体質は、彼がスポーツで好成績を残せた要因のひとつだと言えます。
まさに天性のもの。かっこいい。
しかし、それで彼の人生は決まっていたのでしょうか。
私たちは遺伝子だけで運命が定まってしまうのでしょうか。
それは特殊遺伝子を持っていない大半の人たちからしても、特殊体質とはいえ必死で努力してメダルを手に入れたマンティランタ選手としても、あまり面白くない考えのような気がします。
そういう思いから、自分だけでなく他のだれかや作品を語る時に「才能」という言葉を持ちだすのはやめるようにしています。
センスは磨くもの。初期装備じゃない。
3年ほど前、とあるデザインの先生とお話する機会がありました。
その人は私に新しい価値観をプレゼントしてくれたんです。
センスというのは、経験、知識、実践の積み重ねでだんだん出来上がっていくもの。
「センスがある」と言われている人たちはみんなたくさんの仕事や勉強をこなしている。
つまり、誰もがどんな分野でも手に入れる可能性を持っている。
この言葉を聞いた時、目が覚めたような気もちになりました。
最初からセンスのある人はいないってことですよね。
仮に才能(さっき言った遺伝子のあれそれ)があったとしても、経験値0なら能力は生まれた時のまま。スライムもコラッタも倒せません。
上手い人の技をまねしたり、好きな作品をよく観察したりをくり返し、自分の一部にしていくことで少しずつセンスが磨き上げられるんです。
あなたは何かをはじめる際、センスが無いからとあきらめて経験値をためることすら投げだしていませんか?
かくいう筆者自身も、この考え方を忘れたくないがためにこの記事を書いています。
自分センス無いわ~!って思った時、経験値不足なだけだ、と考え直すようにしたいですね。
「ちりつも戦法」で積み上げる
経験値不足なら経験値をためればいいじゃない。
「塵も積もれば山となる」ということわざがあります。
小さな積み重ねが大きな結果に繋がるのです。
これほどシンプルな戦法はありません。
1歩だけでも歩けば景色が変わります。
線を1本でも引けば絵は完成に近づきます。
一口でも食べれば栄養が入り、命が続きます。
センスを磨くのも、何か目標を達成するのも、結局は才能よりも今できることを粛々と積み上げていくことが重要なんですね。
どうやって積み上げる?習慣化するコツ
わかっててもなかなかできないんだよー!って人もいるかと思います。
ちりつもは要するに習慣化することなんですが、私ふくめ、習慣化というのは簡単にできることではないように思います。
ひとつ、習慣化するコツを紹介したいと思います。
それはすでにある習慣にくっつけることです!
たとえば体操や筋トレを習慣にしたい場合。
歯磨きの後にするんです。
それか食事の後!(筆者は食後に体操してます)
食事や歯磨きは多くの人の習慣になっていると思いますので、それとセットで別の習慣をくっつけるのです。
適当に続けるよりも1日のパターンに定着しやすいですよ!
最後に
「ちりつも戦法」は技術のセンスだけじゃなく、健康や勉学にも役立ちますよね。
筆者が最近やっているちりつもは、体操とプチ断食です。
4月の中旬から始めたので、もうすぐ2か月ですね。
数日ていどでは何も変化がありませんでしたが、1週間、2週間、1か月と続けるうちに効果が出てきたんです。
現在、体重は5キロも減って、筋肉もついてきています。
息苦しく感じた服がぴったりになって、今まで履いていたズボンがちょっとぶかぶかです///
肩と首の疲れが改善され、長く作業を続けられるようにもなりました。
何よりご飯が美味しい!!!
積み重ねるという行為そのものが快感であることを知ってしまった気がします。